【守口】京阪百貨店の第1号店・守口店の立ち上げから異例の転職、現在の姿は、、、
(画像は聖隷浜松病院ホームページより)
写真の方は、静岡県浜松市にある聖隷浜松病院で副院長兼総看護部長を務められ、現在1000人もの看護部の職員と日々連携を取られている勝原裕美子さんです。
勝原さんは当初から看護師として働かれていた訳ではなかったそうです。
就職されて初めて会社勤めをされたのは、まだ立ち上げ段階であった、とある百貨店。
その百貨店がなんと!京阪百貨店第1号店となる守口店だったんです!!
もともと、客室乗務員(CA)になる夢を描いていた勝原。新入社員として京阪百貨店に就職するまでにも紆余曲折を経た。
同社の母体である京阪電気鉄道は、それまでにショッピングモールなどは手掛けていたが、百貨店を運営した経験はなかった。大阪府守口市の1号店は建物すらなく、社員のほとんどは元“鉄道マン”だった。内定の通知を受けた企業の中から同社を選んだ決め手を、勝原は「新しい百貨店を自分たちでつくり上げるのは、夢があって面白そうだと思ったんです」と振り返る。
そんな勝原が看護の道に進む転機は、病院で療養していた祖母がくも膜下出血を発症した際に訪れた。幸いにも、すぐに手術できたことで祖母は一命を取り留めた。異変にいち早く気付いたのは病院の職員ではなく、同室で療養する患者の付き添い人だった。寝息の音がおかしいと病棟看護師に相談したことで、早期発見につながった。
「付き添いの人でも、患者さんを救えるのだ」。勝原はその時、医療者以外の人が健康や病気に関する知識を持つ重要性に気付いた。さまざまなアイデアが浮かび、健康教育の仕組みをつくろうと考えた勝原は、百貨店を退職。聖路加看護大(当時)に進学、卒業後は、看護師として病院で働くことにした。
聖隷浜松病院に赴任した2007年4月から、勝原は病院の管理職という立場で看護職員の労働環境の整備を進めている。例えば、研修制度や勤務形態を整えたり、看護の結果としてのADLなどの推移を可視化させたりすることで、職員が自ら看護の質の高さを追求し、極めていきたいと思う風土づくりに力を入れてきた。
勝原は、自分ができることを確かめながら、看護職員が生き生きと働き続けられる環境の実現に、一歩ずつ着実に近づいている。
(医療介護CBnewsより抜粋)
京阪百貨店守口店のデパートガールとしての勤務から、仕事内容も全く異なる看護師へと転職された勝原さん。
たくさんの苦悩や苦労があったようです、京阪百貨店守口店の立ち上げに関わっていた方が現在は医療介護のリーダーとして活躍されていた事に驚きでした。
京阪百貨店守口店にはよくお世話になっております。
守口に京阪百貨店を作ってくれてありがとうございます!