【守口市】【歴史探訪】守口市土居にある守居神社に行ってきました。
京阪電車土居駅から北側に歩くと土居商店街があります。
約3分くらいで右手に守居神社が見えてきます。
ここは商店街の住民はもちろん近所の人々に愛されており、参拝者がたえません。
しばらく守居神社で佇んでいると、参拝する人が現れてきます。
祭神は、素戔鳴大神(すさのおのおおかみ)と、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)です。
素戔鳴の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説があります。
賀茂別の「ワケ」は、「分ける」の意であり、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味です。
何か天候に関係しているのでしょうか?
もともとは淀川流域の守護神として、
天道神・太歳神・歳殺神・三輪明神・清瀧明神・日吉権現などが祀られていたようです。
しかし、醍醐天皇延喜18年(918年)に淀川で洪水がありました。
社記によると、「西南石礫の渕で我天童神也、我を祀れと振鈴の声でお告げがあった」ので、土を居いて御祀りしたのが始まりと伝えられています。
「土居」とは「土を盛り上げた土手(どて)」を意味します。
淀川の土手に由来しており、もともとは土居神社と呼ばれていました。
明治五年八月に、守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)、
明治四十年十月十日に、守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神〈渦神社〉)
が合祀されて、守口の総氏神として守居神社と改称されました。
南北朝時代から室町時代にかけて、守口付近では戦いが頻繁に起っていたそうです。
守居神社から西側にかけて、守口城がありました。
守護大名は大内義弘で、配下の杉九郎が守備していました。
応永6年(1399年)に「応永の乱」が起こります。
そこで、大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こし、堺に籠城しました。
守口城も戦場となりましたが、杉九郎を堺に退かせ、堺を城塞化して幕府軍を迎え撃ちました。
しかし、3万を超える幕府軍に攻められ堺は落城、大内義弘は討死しました。
●住所
大阪府守口市土居町2−22
●各種ご祈祷・祈願
・人生儀礼(安産・命名・初宮詣り・七五三・厄除 等)
・諸祈願・祈祷(合格祈願・病気平癒・商売繁盛 等)
・出張祭(地鎮祭・竣工祭・安全祈願・神葬祭 等)
●社宝
・守居神社刀一口(大阪府指定有形文化財)
・刀匠「備中守橘康廣(びっちゅうのかみたちばなやすひろ)」の銘が有り
・恵比寿人形 淡路島の民家に百数十年間祀られていたもの
・狛犬
・石灯籠
・鳥居
・献湯大釜
この御神木はパワースポットと呼んでいる人もいるとか・・・
《つよぽん》