【守口市】〝東海道五十七次〟『守口宿』制定400周年記念第三弾!! 宿場町の魅力を伝えゆく〝語り部〟ガイドマイスター奮闘記☆
本年守口市は、市制施行70周年! 守口宿制定400周年!を迎えるとの記事は、これまでにも何度か書かせていただいた。
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11月に開催予定の記念イベントに向けて水面下では盛り上がりを見せているものの、まだまだ知れ渡っていないのも事実である。
守口の魅力を再発見していただくべく、〝守口宿ガイドマイスター〟さん達の活躍ぶりをご紹介しつつ、守口の歴史を簡単に紐解いていきたい。
先ずは、守口の地名の由来についてだが、よく『大坂城の守り口説』が挙げられるが、室町時代の書には既に『森口』、『杜口』、『守口』との記述があるので、これはおそらく間違いであろう。
守口には『森村』の地名もあり、また、近くには『千林』や『森小路』があることから、その森への入口が森口で、後に守口の字で統一されたとの説が一番有力である。
次に、守口に縁(ゆかり)のある偉人であるが、今回は二人だけ紹介させていただく。
行基〈ぎょうき〉(668 〜 749)
(画像は 行基 行基菩薩より流用)
畿内(きない)に49の寺院を建立し、布教のかたわら自ら弟子を率い、各地で池、直道(じきどう)、橋、樋(とい)、布施屋(ふせや)= 救済施設などを造っていった。
通称『行基道』といわれた守口の古道は、当時奈良の都である平城京への重要な交通道路であった。
(現在、国道163号線が、この街道に沿った道筋をとっている)
豊臣秀吉〈とよとみ ひでよし〉(1537 〜 1598)
(画像はWikipediaより流用)
大坂への道路を整備するため、淀川の両岸沿いに文禄3年(1594)、文禄堤の工事を命じた。
現在の本町や守口小学校はこの文禄堤の上に出来たもので、秀吉の文禄堤の名残が残っている。
また、守口名物『守口漬け』の命名者でもある。
◎こちらの記事も参考にしていただきたい。
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このように、魅力溢れる人物、名所が目白押しの守口宿。
この歴史街道を楽しく♪分かり易く!案内してくださるのが、ガイドマイスターの方々なのだ。
先日行われた『守口宿散策ツアー』も大盛況で、参加者は皆熱心に、ガイドマイスターの話に耳を傾けていた。
※上記関連記事参照。
東海道五十七次 守口宿の案内人、守口宿ガイドマイスターの皆さまの更なる大活躍を楽しみに、この辺でペンを置かせていただく。
ではまた (^O^)/
本日の和歌
『 古の 守口宿の 案内人(ガイドマイスター)今日も行かなむ 歴史の旅路へ 』