【守口】守口宿が大健闘!!!歴女も大興奮の『宿場町総選挙』‼︎ センターを勝ち取った宿場が明らかに☆
総選挙と言えば⁉︎ 今やAKB‼︎
まさに!国民的アイドルの彼女達であるが、つい最近、そのAKB総選挙に勝るとも劣らない!凄過ぎる総選挙が行われたことをご存知であろうか⁉︎
日本全国の歴女を興奮の渦へと巻き込んだ、『東海道宿場町総選挙』である!!!
そう、あの歌川広重の浮世絵で有名な東海道だ。
ではここで、簡単に東海道と宿場について解説をさせて頂く。
先ず『東海道』だが、慶長5年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、翌慶長6年から、江戸を中心とした各地方への重要な道路を整備した。これを五街道と呼び、そのうちの一つが東海道である。
他の四つは、中山道、日光道中、甲州道中、奥州道中となる。
次に『宿場』についてだが、宿場は、街道沿いの交通の要地に幕府が認めた集落で、道中奉行または領主の支配下に、宿役人などが業務を運営しているところを指す。
街道に2〜3里(8〜12km)ごとにおかれており、なかには、城下町の一部が宿場になっているところもあった。
宿場には、『本陣』、『脇本陣』、『旅籠(はたご)』などの宿泊施設や、人馬の継立(つぎたて)をする問屋場が設けられている。
ちなみに宿場の宿とは、宿泊をさすのではなく、『宿駅』のことである。
『東海道五十三次』のように『次』と数えられるのは、各駅(宿場)に伝馬や飛脚の継立をおこなうという意味からきている。
本陣とは、天皇の勅使、公家、大名、公用の役人が宿泊する施設であり、脇本陣は、本陣が詰まっているときに使用された。
本陣は、庶民は宿泊することが出来ないが、脇本陣は、通常は普通の旅籠として営業しており、庶民でも泊まることが出来た。
旅籠屋は、一般の旅人や、公用でない武士なども宿泊し、一泊二食付きと現代の感覚である。
皆さんが、興味を持たれるような話をさせて頂くと、旅籠屋にも上・中・下とランクがあり、最低の旅籠代が200文。最高が500文。平均が260文で、今の金額でいうと、約3.600円ほどではなかろうか。
つまり東海道五十三次とは、お江戸日本橋から京都三条大橋までの間に、品川宿からはじまり大津の宿まで、五十三ヶ所の宿場町が設けられているということだ。
そして、今では!『東海道五十七次』と呼ぶのが常識となっている。
お江戸日本橋から大阪は京橋まで、その間『伏見』、『淀』、『枚方』、『守口』の四つの宿場が加えられ、東海道五十七次となるのだ。
そこで今回、滋賀県草津市の草津宿街道交流会館が、東海道の中で一番人気の高い宿場町はどこなのか⁉︎
インターネットなどで呼びかけ、宿場町総選挙を行ったのだ。
近年の歴史ブームと健康志向も相まってなかなかの評判となり、総得票数は5.105票‼︎
そして、見事1位に輝いたのは‼︎
愛知県豊橋市の『二川宿』だぁーーー!!!
得票数は854票!
第2位は‼︎
何と!大阪府枚方市の『枚方宿』でおます〜‼︎
第3位は!
滋賀県草津市の『草津宿』‼︎
さぁ〜皆さん!お待たせしました!!!
この次につけているのが‼︎‼︎!
もうおわかりですよね〜‼︎
それでは、皆んなで声高く叫ぼうではないか‼︎
大阪府守口市の「守口宿やねぇーーーーーーん」!!!!!
「これって凄くない⁉︎ マジ凄いよね!チョーヤバイんだけど守口宿」♪
今や、歴ギャル達の憧れの地となった守口市♡
その魅力は色々とあるが、今回は『文禄堤』を取り上げたい。
豊臣秀吉が、伏見城と大坂城を結ぶ街道として、淀川左岸に文禄3年(1594)から慶長元年(1596)にかけて、西国大名の毛利三家(毛利・小早川・吉川)に命じて築堤させたのが文禄堤である。
文禄堤の目的は、淀川による河内平野の氾濫を防ぐ。
築堤により、他の水路を安定させる。
軍事のとき、堤防を切って平野を水で満たし、大坂城を守る。
淀川左岸に築堤し、堤防上に伏見と大坂城を最短距離で結ぶためなどがある。
この文禄堤は、守口市本町に現存しているので、是非散策をして頂きたい。
いずれにしても、今回の総選挙は、8月の太陽よりも燃え上がり、夏フェスよりも熱く盛り上がったことは言うまでもない!!!
おめでとう!守口宿☆
ありがとう!守口市♪
私は、歴史深きこの地を誇りに思う♡
ではまた \(^o^)/
本日の和歌
『 東海道 五十七次 宿場町 あゝ栄光の 守口宿かな 』
澄川白舟